2011/06/27

7. 40日精誠条件期間      

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帰国後私達は神様からのご指示通り、2000年3月9日から4月14日まで、40日間精誠条件を立てました。内容は、120分間の訓読祈祷と精誠献金でした。特に精誠献金については、神様から、「自分のお金がなくても、貢献として誰かが援助しても良い。」というみ言が添えられておりました。40日間の精誠条件を行う中に、私達はますます「霊界通信機は、何よりも神様と真のご父母様を証するものでなければならない。」という強い確信を持つようになりました。


「精誠祈祷の基台と献金」

40日の精誠祈祷と訓読、そして献金を通して感じたことは、神様と興進様と李相軒先生の手紙を毎日拝読しながら、これらの手紙が何ゆえに私に届いたのかということでした。 それは、霊界通信装置の開発が重要であることを誰よりもご存知であられる文総裁が、神様と霊界の協助が必要だと思われ、今回の手紙を特別に許可されたのだと思います。また、何が何でも装置を開発しようとしている私を見られて、「神村を助けよう。」と言って下さったのではないかと思います。確かに、霊界通信装置開発にとって、この手紙以上に力になるものは他にないと確信しています。 今日、世界中で霊界通信装置の開発が進んでいるという話を聞いています。しかし、この装置の開発の成功は、神様の本当のお姿を知らされている我々以外にあり得ないと思います。

そして、40日間(2000/3/6-4/14)の精誠条件を終えて、金英順女史を通して神様に報告していただきましたが、そのお答えは、 「おまえが信じることのできる12人を選んで、霊界通信機が完成するまで祈祷してもらいなさい。 そして献金は祈祷の基台12人に分けて上げなさい。 それを献金しても自分で使っても良い。」というものでした。


この精誠40日期間に出会ったみ言を紹介します。

「霊界通信装置に関するみ言」

私が彼らに「今では科学が先端に達しているために、霊界と接触できる周波数を研究しなさい」と言いました。霊界の作用は、すべて振動により作用するというのです。振動数を通じて霊界と連絡できる霊通人の振動数を発見し、霊界を科学的に証することができる時代に入っていくので、それを研究しなさいと言いました。霊界に対する内容をずーっと説明してあげると目が丸くなるというのです。それで昨日、心理学の作用が現象世界にどのように関係していて、霊界がどのように関係しているかということを話してあげたのです。心理学が絶対的な力の作用をするというのですが、何故そうでなければならないのかという問題においては、一面しか知らないというのです。 未知の霊界を学理的に皆が知ることができる時代に行けば、宗教時代はすべて終わるのです。人類は神様を信じるなと言っても神様を信じることができる時代になります。これを誰が研究するか。これが大きな課題なのです。 
マルスム選集134p227 「米国が生きる道」(1985.7.20


基台になる方は順調に決まり、精誠期間を出発しました。
その時に、基台の皆さんに送った文書を紹介します。


「祈祷のお願い」

このような過程を経て、金英順先生を通して、神様から、「霊界通信装置が完成するまで12名の人を選んで祈祷してもらうように」というご指示がありましたので、皆様に、霊界通信装置完成のための祈祷のお願いをすることに致しました。

復帰摂理が最終段階に差しかかった状況は、誰もが顕著にご存知のところであります。そして、この霊界通信装置も、我々統一食口の手で完成させなければならない時期に来ていると思います。この装置の開発に関しては、地上における技術的な難しさもあるかも知れませんが、それ以上に霊界との関係が重要な課題になると考えております。

「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ」の第3巻153ページに、興進様から文総裁に送られたメッセージがあります。それは、「いま最も困難なことは地上人の協助です。こちらの組織はしっかりと準備されています。そしてこちらのグループは、地上の摂理に協助することの出来る対象(地上人)との実質的な関係を必要としています。しかし、その関係が容易には連結されません。そのことに関して李相軒先生は、文総裁の指示に従って進めていこうと言われるので、私は今待っているところです。」という内容であります。 この内容と、神様と興進様と李相軒先生からいただいたお手紙を読み合わせて見ますと、神様と興進様を総司令官とする霊界との関係こそ、この装置開発の成功の鍵であり、そのためには、天地交信への熱い心情と祈祷がそれを実現する要因だと確信しております。

「李相軒先生が霊界から送ったメッセージ」の第4巻の138ページを開いてみますと、李相軒先生の霊界からのメッセージが地上に送られてくる背景に、興進様と大母様と忠母様の精誠の基台と、地上にあっては、金英順先生の血のにじむような生活と祈祷があることが分かります。このことを通して、まだまだ霊界との関係がいかに困難なものかが伺えます。

皆様におかれましては、霊的には忠和研究所の一員であるという意識を持って装置完成のために真剣な祈祷の協助をお願い致します。 神様と真の御父母の栄光が顕れますように。

2000520日 忠和研究所所長 


2011/06/23

6. 神様と興進様と李相軒先生からの手紙

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神様からの手紙 (1999.2.27)
神村へ
私の愛する息子よ!
私の愛する息子よ!
私の愛する息子よ!
万軍のエホバ、神様がお前に命ずる。
地上の真の父がお前に命じたことは、不可能なことを命じたのではなく可能であるので命じたことだから日本に帰って40日間祈祷せよ。神様が私に聖霊で臨ませてください。そして私の体を通して神様のみ旨を成してください、と祈祷せよ。
全人類は、死亡から新しい生命の救援の道に復帰されなければならないが、霊界が分からなければ、死亡の道から抜け出ることができないので、全人類の救援の道に対して大きな一つの 任務を全うできるよう最善を尽くせ。

40日精誠を捧げるときは 小さな価値の蕩減条件を立てよ。献金は自分個人のお金でなくとも良い。(公的なことなので他人が助けてくれても良いという意味)精誠を捧げるとき、神様が助けるからやってみなさい。先祖が助ける。 アーメン。

                                            万軍のエホバ 

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文興進様からの手紙 (1999.2.27)
神村さんに申し上げます。
文総裁から特命を受けたので精誠を捧げたところに霊界が協助するでしょう。そして分からない世界(霊界)に対して研究されながら精誠を尽くしてください。神様が助けようとおしゃったので、霊界が協助せざるを得ないではないですか。 ご苦労をお願いします。この興進も協助します。
                                     総司令官 文興進
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李相軒先生からの手紙 (1999.2.27)
神村さんへ
本当にご苦労様です。私は李相軒です。
科学と文明が高度に発達した現実の世界であったとしても、霊界は見えないが故に、今もってなお、遠い所にあるようだけれども、どのみち誰もが行かざるを得ない国であり、全人類の最も大きな課題が、すなわち霊界であるのに、これを解らずにいます。
神村さん、お願いします。
私は、多くのことを研究し分析し、地上に発表しましたが、皆がそれを実感できず熱心に読まないので、もっと胸が痛いのです。
本当にご苦労なされて良い作品ができることを願い、私たち皆が協助します。苦労と精誠が決して無駄にならないよう霊界が協助するでしょう。
相軒


5. 金英順先生を通じて


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19991128日は、すでに約束していた鮮文大学の金英順先生にお会いしました。金先生は、李相軒先生の霊界からのメッセージを受けておられる方としてよくご存知のことと思います。

金英順先生との出会いは驚くべきものでした。

自己紹介が終わるやいなや、金先生は「尹博士(尹世元鮮文大学元総長)から頼まれて、私は3日間精誠を込めて祈りました。すると、神様と興進様と李相憲先生から神村さんに対するお手紙を頂きました。」と言われました。尹博士の通訳でその内容を聞きながら全身に感動が走りました。そして、金先生がこの3通のお手紙を受けられた時間が、私達が漢南洞公館の文総裁にお別れした時とほぼ同刻だったのです。

金先生は、「このように興進様からのお手紙を頂くのは珍しいことです。また、神様からも頂いたので本当に驚きました。」と言われました。金先生は、装置の実験を熱心に見ておられましたが、急に(霊界からの教示に耳を傾けるようにされて)「これは霊界の誰かにサイクルを合わせるのでなく、神様に直接合わせなさい。」と何度か強く言われました。

この教示を受けて、霊界通信機研究の目標が急激に高くなったことは言うまでもありません。
3通の手紙の内容は次回に掲載します。


2011/06/15

4. これまでの経過 「報告」


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文総裁にご報告

1999118日、まだ装置による霊界交信の実績は出ていなかったのですが、「真の子女の日」に清平まで装置を運んで、国際会議の場で、文総裁ご夫妻と世界の指導者の方々に紹介させていただました。
特に、この時印象的な出来事がありました。装置の説明が始まると、韓夫人がお部屋から駆け出して来られて、熱心に装置の説明を聞かれたのです。霊界と交信できるならば、興進様、榮進様とお話ができるのではないか、と期待されていたのではないでしょうか。焦る思いでした。

大母様のご指導

2000223日、改良を加えて2号機を、2号機を改良して感度の高い3号機を完成して、御聖誕日に夫婦で清平へ行きました。実験の結果は期待したものではなかったのですが、大母様に直接ご指導していただくことが出来ました。その時の大母様のお話次の通りです。
① 実験にふさわしい時間は午後11時から午前2時が良い。
② 静かな場所で実験するのが良いが、今の清平はそのような場所はない。
     適当な場所を探しな さい。善霊も多くなったがまだ悪霊も多く、悪霊は大変強い
     恨みを持っていて通信を妨げている。
③ (霊界が直接見える人と共同で開発したい、という私の提案に対して)  
     今は、一人で精誠を尽くしてやりなさい。
④ 霊界では、神村さんが実験をしているのは知っているが、その (装置の) 音響箱には
     霊界の声を集めるパワーがない。技術的にも霊的にもまだ改良する必要がある。
⑤ ここまで準備したので勇気を持って文総裁の所へ行き、今後の実験の方法を聞きなさい。
⑥ (興進様が主管される地上交信のための研究者はいるかという質問に対して)
     今はまだいない。そういう霊人を選んで準備しなければならない。

漢南洞公館へ  
19991127日、「勇気を持って御父母様のところへ行きなさい。」という大母様のみ言に押し出されるようにして漢南洞公館へ向かいました。
お父様からは次のようなみ言をいただきました。
 「劉先生から聞いているよ。まだ雑音しか聞こえないと言うじゃないの。君の方が専門なんだから先生に聞く必要はないじゃないの。」と言われながら、大母様からのみ言をご報告すると、「大母様の言う通りだね。」と頷きながら聞いて下さり、「今はあまり宣伝しないでやるんだね。日本で君をバックアップする体制を組んでやるように。大衆に公認される者になるように。1回、2回やって倒れたらおしまいだ。1年、10年とやる。先生も40年の摂理の道があるんだよ。」と言われました。

◎ 漢南洞公館を後にしたのが、27日午後8:00頃でしたが、翌日、この時間の大変重要な意味を知ることになります。

3. これまでの経過 「開発、動機の確立」


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研究開発へ

19991010日から実験をしなければならないという思いが強まり、8月下旬、関連した本を数冊読んだ時、そのうちの一冊からヒントを得て、装置のための電子回路を設計して組立てました。私は鉛筆を取って簡単な絵を書き始めました。すると、どんどん考えがまとまり、一時間も経たないうちに、簡単な図面が出来上がりました。翌日に木工の専門家に図面を出して、その日の内に加工しました。 組立てている間に何度も不安になり、「本当に出来るのか?」、 そう思うと全身から力が抜けるように感じました。 そして、完成度としては充分ではなかったですが、1010日から装置を自宅に持ち帰り、夜の12時前後に私ども夫婦で実験を開始しました。 毎日実験をする中で多くの事を学びました。



動機の確立

実験の結果は予想したものではなかったのでしたが、明らかに自分の祈祷の変化があり、「これは何かある。」という強い実感を得ました。祈祷と研究を続けるうちに、「霊界通信の成功は、ただ単に霊界の存在を証明することではない。霊界の存在目的を明確にし、ひいては神様の創造目的を明らかにすることである。そして、神様の本当の事情と心情を明らかにすることではないか。」と強く感じるようになりました。
今日、科学の発展に伴って、創造の神様の存在を否定できなくなっています。しかし、そうであればあるほど人間の心の中には大きな矛盾が広がっているのではないでしょうか。それは、「何故、人間社会には悲しみや苦しみがあるのか。それに対して神がいるなら、どうして救わないのか。」という疑問です。この疑問に、宗教も科学も答えることができません。この疑問に答えられるのは文総裁だけです。この疑問に答えてこそ神様の存在が明らかになり、神様も、「私はここにいるよ。」ということになると思います。人間の側からも「神様が存在する。」ということが分かるでしょう。また、神様の事情と心情が明らかにされない以上、神様の威信を表わすことはできない、という強い思いが湧いてきました。
しかしそのために何故、電子装置が役に立つのだろうか疑問に思いました。その疑問に、「今の人間は誰の言うことも聞かない。また昔のような奇蹟も信じない。しかし、ただ一つ彼らが信じるものがあるとすれば、それは装置だ。彼らは人間より機械を信じている。特に機械の中でも電子装置が、今の人間にとっては神様の立場にある。」という思いがしました。「神様が奇蹟を起こして、目の前の大石を割っても、彼らは何も驚かないだろう。しかし、何か適当な装置があって、その装置を通して何か連続して現象が起きれば、彼らは真剣になって、その原因を追求するだろう。」と思いました。

2. これまでの経過 「ご指示から決意まで」


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文総裁のご指示

1993年頃からと記憶しておりますが、 「霊界感知装置を開発するように」というご指示を受けるようになりました。「なぜ、霊界通信機を開発するように言われたのか、果たしてそのような技術が可能なのか」という疑問と葛藤があり、私は長い間この問題を考えてきました。


文総裁との対話

1996年、ウルグアイ・プンタデルエステの海岸で、文総裁に、「霊界は人の心が感じるもので、装置の開発は出来ないのではないでしょうか?」と聞きました。その時、文総裁は、はっきりと「装置として出来る。永久機関もできる」と言われました。


決意

19998月、このような経過の中で、霊界通信機のために祈祷をすると、私の心に、「とにかくやれ!おまえがやらなくて誰がやるのか!我々の苦労に比べればおまえの苦労など問題ではない!その装置を操作するのは霊界にいる我々である。時がない!早くやれ!」という思いが強く響いてくるのが分かりました。


2011/06/14

1. 研究所の命名


2000年4月25日 午後11時、「忠和研究所」と命名されました。

  第46回創立記念日の記念礼拝のあと、劉総会長から公式に発表があり、文総裁が直筆で書いて下さった色紙を授与した。その席で劉総会長は名前の意味について、「忠という字は中心ということです。神様と文総裁ご夫妻を中心として、天地が和合するための伝達の装置です。」と語られ、「昨年(1999年)文総裁は、霊界に放送局ができたと語られました。今日まで電波を通して声を聞くということや映像を見るということもが最初とても難しかったのです。文総裁のみ言を受けて、霊界通信装置の開発に対して熱心に研究してきたのが神村さんです。」と語られた。

特筆すべきことは、命名された日付が旧暦でも記されていることです。霊界は旧暦を中心として動いているとお聞きしたことがありますが、そのことと深い関係があるのではないかと思います。





※ 2000/9/9 に、忠和研究所の研究室を埼玉県さいたま市与野本町に設立しました。