2012/08/03

夜の神様、昼の神様

(註・亨進様のお話が基になっていますが、統一グループにおられた頃のお話ですから、そのまま活用させていただきました。)
2012年1月29日、韓国・ソウルの天福宮の日曜礼拝で文亨進様が語られた内容をもとに、私が理解したことを交えて書きました。このメッセージの中で亨進様は、「お父様が『夜の神様、昼の神様』という驚くべきみ言を下さっていますが、このみ言を聞いて、私たちは混乱することが多くあります。・・・私たちは三位一体神学で『超越的な神様』について研究します。これは全ての宇宙と時間空間を創造する前の神様に対するものです。・・・お父様が夜の神様について語られるときは、この神様について語っていらっしゃるのでした。超越的な神様として全ての万物を創造なさる前、時間と空間が始まる無の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様が『夜の神様』であられるのです。そして、有の状態、歴史が始まって、時間と空間を創造した後の動きの神様、摂理の神様と呼ぶことができるその存在がすなわち「昼の神様」なのです。お父様が語られるには、夜の神様は男性であり、昼の神様は女性だと語っておられませんか ? それで、さらに混乱させられます。」と語っておられます。

結論的にはこの中に全てがあると思います。最初に亨進様のメッセージを読んだ時には、私は言葉の上でしか理解できませんでした。しかし、その後時間がたつにつれて、ますます「昼の神様」が気になって来たのです。何回もメッセージを読み直しました。そして、教会の指導者がこのことに関してお父様に尋ねた時、お父様は「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の講演文の原稿をお持ちになって「この中にすべてある。この者 !」と大声でどなられたこと、そしてまたある時には「私は夜の神様の管理を受け、あなたたちは昼の神様の管理を受けるのだ」と語られ、「私は夜の神様から出て来た」と語られたことを知りました。亨進様も「原理」では明らかに「メシヤは人間である」と説明しているのに、お父様は「生きておられる神様」というみ言を語られるといって、狂うほどに悩んだと言われています。このあと、亨進様はお父様について、「存在論的に夜の神様から出て来られたために、私たちには希望があります。」と語っておられます。

しかし、私はこの後、さらに昼の神様のことが気になってしかたありませんでした。「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言も読み直しました。「この中にすべてある」とはどういう意味だろうと考えたからです。私はこの中に昼の神様に関して説明があると思ったのでした。しかし、それは間違いだと気付きました。何回か読んで、たしかにこのみ言の中に全てがある・・・そう思った時に「あなた達は昼の神様の管理をうける。」と語られたことに気付きました。「聞くだけでなく、読むだけでなく、このみ言を実行しなさい。」と言っておられるのだと気付きました。私はお父様が言われたことは全てそのようになるのだと思っているところがありました。そうではないのです !実行するのは昼の神様のもとにある私達ではないかと思います。このことは特に昼の神様という言葉を出さなくても、以前から知っていたことだと言う人もいると思います。しかし、ここは大きく違うと私は考えています。ここでお父様が昼の神様というみ言を語られたのには重要な意味があると思います。あえて「神様」と言われる理由があると思うのです。しかも、お父様ご自身は夜の神様から出て来られたのです。

私は数日間、このことを考え続けていました。誤解を恐れずに言えば、こんなことも考えました。お父様は語られたことに対して責任ないのだ、どうしようもないのではないかと考えました。そこで一つ、大きな問題に気付きました。それは、我々は昼の神様の管理にあるのに、今まで夜の神様の管理のもとにあるように考えていたということです。これは衝撃的でした。考えれば考えるほど、後から後から今までの自分の間違いに気付いたのです。

人間が堕落したから神様が夜の神様と昼の神様に別れたのではないかと言う人がいますが、私はそうではないと思います。何か神様が2人いるようで落ち着かない気持は理解できます。いつかこの昼の神様という言葉が別の表現になるかもしれませんが、今はこれ以外に考えられないことは確かです。

私は「命」が昼の神様そのものだと思います。生きているということが昼の神様そのものだと思います。亨進様は「有の状態、歴史が始まって、時間と空間を創造した後の動きの神様、摂理の神様と呼ぶことができるその存在がすなわち「昼の神様」なのです。」と言っておられます。有の状態、すなわち「命」が誕生した状態を言うのだと思います。

では、「命」とはどのようなものでしょうか。人間の身体は、動作や全身の感覚、呼吸、体温、代謝などを調節する神経系、ホルモンによって体内の恒常性を調節する内分泌系、そしてウィルスや細菌などの外敵が体内に侵入して来た時にそれらを駆逐する免疫系の三つの系の働きによって正常に機能しています。これらは「命のトライアングル」と言われています。最近、この方面の研究が進み、「命」について多くのことが分かって来ました。私達は昼の神様である「命」のことをもっとよく知る必要があると思います。私達が夜の神様のことしか考えないようでは、私達の「命」は本来の働きをすることが出来ない場合があるのです。

夜の神様と昼の神様の最大の特徴は、夜の神様は「唯一絶対」であり、昼の神様は「愛」であり「慈悲」だと思います。慈悲とは「慈しみ」と「あわれみ」の合わさったものです。すなわち、相手の幸福を願う心と、相手を苦しみから解放してやりたいと願う心の合わさったものです。私達はよく愛は唯一絶対だと考えますが、これには問題があると私は思います。その理由は「愛」は昼の神様の管理のもとにあると思うからです。これは大変大切なことです。なぜ仏教が「愛」という表現を使わないのか、ここにその理由があるように思います。「愛」はどうしても唯一絶対の愛という考えが入りやすいのです。分かりやすく言えば「愛着」になりやすいのです。仏教は神様を知らないとよく言われますが、いま私は、仏教は昼の神様の管理のもとにあったのだと気付きました。では、夜の神様には愛がないのか、と言わないで下さい。それが言いたいのではなく、最大の特徴として話しているのです。

では、昼の神様の「愛」とはどのようなものでしょうか。唯一絶対でないとしたら何が愛の属性なのでしょうか。私は「寛容」だと思います。なぜなら、「寛容」は「命」の本質だからです。最近の研究によってこのことが明らかになりました。命のシステムは唯一絶対の厳密な構造ではないのです。「寛容な愛」が昼の神様の愛だと思います。お父様のみ言の中に夜の神様は男性で昼の神様は女性だとあります。このことを意味しているのではないでしょうか。夜の神様も昼の神様も愛の神様なのです。そして、夜の神様は唯一絶対の愛の神様であり、昼の神様は寛容な愛の神様だと思います。

ここまでの説明で、理論的な話はほぼ全て話しました。では、昼の神様の管理を受けている私達は、具体的にどのようにするべきでしょうか。また、どのようにするべきだったのでしょうか。

もう一度、命のトライアングルを思い出して下さい。神経系、内分泌系、免疫系です。脳は神経系のトップに位置します。しかし、脳が夜の神様やお父様だと考えないで下さい。これが昼の神様の具体的な姿だと思います。個人から家庭、組織、社会、国家など全てがこの命のトライアングルの仕組通りに動けば良いのです。

私は医学の専門家でもないし、経済学、社会学、政治学の専門家でもありません。家庭においても父親失格だと自覚しています。ですから、ここから先はあまり参考にはならないかも知れません。ただ、話の続きとして見て頂くとうれしいです。

神経系は一般的には情報システムのようなものかも知れません。内分泌系は物質的な側面からは経済システムかも知れません。そして、この内分泌系には何か精神的な側面があるようにも思います。喜びとか悲しみとかそうした感情も含まれるような気がします。免疫系は政治システムのようなものでしょう。極端な例は戦争なども含むと思います。これらが昼の神様の願いのごとくに動けば良いのです。

個人や家庭においては、互いに楽しく会話しながら、おいしく食事をしていれば、身体も健康になると言うことです。組織もスムーズな連絡と必要な財産があればうまく行くということです。社会や国においても同じです。しかし、ここで問題なのは、そうは簡単に行かないと言うことです。個人や家庭、社会、国家、世界においては問題が沢山あると言うのです。実は、身体の中も同じです。一見健康に見えても身体の中ではこのトライアングルは大変に複雑な働きをしているのです。そして、それは「寛容」をキーワードにして動いているのです。その代表は免疫系です。なぜなら、免疫系は問題解決の主役だからです。

ですから、問題解決の方法は免疫系に習うべきです。また、免疫系を援助している神経系、内分泌系の働きに習うべきです。まずは、免疫系の働きを知ることが大切だと思います。免疫とは「自己」と「非自己」とを分けることから始まります。では、免疫系にとって「自己」とは何でしょうか。私達の世界においても問題はたいがい「自己」と「非自己」の関係から始まります。そして自己主張、権利の主張が争いの中心になります。

詳しいことは免疫学者に聞くとして、私が知る限りでは免疫系にとっての「自己」とは脳からの指示ではないと言うことです。すなわち、言われてやっているのではないと言うことです。免疫系が自主的にやっているのです。しかも、「自己」と「非自己」との間は大変にあいまいだと言うのです。言い換えると、外から来たものに対して全面攻撃はしないと言うのです。ようするに寛容なのです。そんなことで身体の健康が守れるのかと思いますが、その方が健康に良いと言うのです。少しくらい不潔な方が元気だと言うのです。免疫系に支障があって全面攻撃するようになると、アレルギーや、それが脳にまで行くとアルツハイマー病になるのです。

私達は、自分自身に対しても寛容な愛で望むべきです。それは唯一絶対の基準に反すると言うことではなくて、そうすることが「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言を実行することにつながるのだと思います。ですから、お父様が、昼の神様について「この中にすべてある。」と言われたのだと思います。

昼の神様の管理を受けている私達が、もし夜の神様しか考えられないとしたら、私は、2つの大きな問題が生じると考えています。一つは生きている間に偽善者になりやすいこと、もう一つは、自然な死を迎えることが出来ないのではないかと言うことです。このような話を書いている私自身が、昼の神様を知らない人生を歩んだものとして過去に申し訳ない思いを残しています。

では、どうすれば良いでしょうか。亨進様は「はげ頭と苺」という本を書いておられます。私は、昼の神様の話を知る前にこの本に出会いました。そして、多くのことを学びました。ここでその全てをお話することは出来ませんが、一つ、昼の神様の考えと深くつながる考え方があります。

それは、本の題名でもある「苺」です。私はこの「苺」が何を意味するのか考えました。そして、それは「いま生きていることを感謝する」ということだと理解しています。この「いま」ということは大切です。昼の神様は「いま」の神様ではないかと思います。過去でもなく、未来でもないのです。私は、この本と出会い、「苺」を食べて再出発することを決意しました。

昼の神様に管理される者として、もう一つ大切なことは死に関することだと思います。私は、多くの癌患者の最後を看取って来た、鳥取県の「野の花診療所」の徳永進氏の話を聞いたことがあります。死が近くなると自分でなんとなく分かる、と言ってました。体がその人に教えるのだそうです。そして、死の直前まで笑いのある死、それが自然な死なのだと徳永氏は言いました。その時、徳永氏は命は死ぬ力を持っているとも言いました。そして、命は本当に不思議だと・・・。

誰もが必ず死にます。死を予感してじたばたせずに笑って自然な死を迎えることは本当に大切なことです。それが昼の神様を信じることであり、夜の神様につながるのではないでしょうか。


5 件のコメント:

  1. 私は、オ・オポノポノなども昼の神様の管理のもとで生きるべき私達の姿を表しているのではないかと思います。

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  2. 現在、原理本体論はじめ、多くのみ言葉を通して、神本体の内容、霊界の事情が詳細に解明されてきています。そうした天の思想をいかに多くの人々にわかってもらうかが私たちの課題だと思います。
    その意味で、霊界通信機の開発、多くの期待がかけられていると思います。心から応援しています。

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  3. fujitaさん、ありがとうございます。
    「昼の神様」は大変重要な意味を持っているように思います。始めて聞くと何か変な言葉のようですが、よくよく考えると奥深い意味を感じます。私達は「夜」と「昼」の存在に対して、あまりにも身近なので何も感じません。さらに悪いことには人工的な光を使って「夜」と「昼」をわからなくしています。だから「夜の神様」、「昼の神様」と言われても理解できないのだと思います。まったく人工的光のない所で、夜と昼を体験することが大切なのかも知れません。

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  4. 夜の神様昼の神様について多少わかったかなと思うころ、お父様は更に新しいことを語られますね。
    2012年2月8日 「伝統を立てる歴史的な大転換時代」
    このみ言の中で、16歳の時イエス様が尋ねてきて語られた内容、「あなたは昼の神様と夜の神様がわかれてしまったことを知っていますか?」「知っています」から始まるお父様とイエス様の会話がとても深く、且つ神秘的で心霊を持って読んでいかないととてもわかりません。

    ホオポノポノですけれど、脳や神経系の最新の情報を読むにつけ、ホオポノポノが其のすべてを網羅して、私たちの具体的日常に生きる道を示している偉大な啓示であることを認識します。いわれるように我々が夜の神様しか知らなかった故に、このホオポノポノはハワイに上陸したキリスト教宣教師によって迫害されたそうです。

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  5. One Lifeさん、
    そのみ言は気付きませんでした。ありがとう。すぐに読みます。そうですか・・・「夜の神様と昼の神様がわかれてしまった」のですか、やはり、堕落したからそうなったと考えるべきなんでしょうか。なるほど、やはりそうなのかも知れません。

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